人は、人の評価を信じる

あなたに「少しの間、預かっていて」と言って、「1本の木の枝」を手渡しました。
そして、私がいなくなった後、1人の人がやってきて、「この枝は100万円の価値がある」と言いました。また、別の人がやってきて、「いやいや、この枝は200万円の価値がある」と言いました。
あなたは、この枝に価値があると思いますか。
怪しいから感じないって?

それでは、また、別の人がやってきて……を繰り返して、100人の人がやってきて、100人すべて、その木の枝には、100〜300万円の価値があるといえば、どうでしょうか。
この木の枝は、何か天然記念物の木の枝であったり、形が芸術的だったり……何か理由があるから、価値があるのだと思うのではないでしょうか。

つまり、人は、本来は、品質あってこその価格なのに、周りの人の評価が高ければ、高品質だと推定してしまうわけです。
※)もっとも、この話は極論なので、実際には100〜300万円だと納得させる程度の品質は必要ですけどね。

逆をいえば、人を納得させる程度の品質があれば、あとは、人の評価「さえ」あれば、たとえ、高品質ではなくても、高品質だと感じさせることができます
もっというなら、本来は「品質がいい→人の評価が高くなる」という順番ですが、「人の評価が高い→品質がいいと推定」という心理が働いて、本当は、何の価値もない木の枝に価値があると感じてしまうわけですね。

韓非子の逸話「市に虎あり」

韓非子にも、同じ話がありました。「市に虎あり」という逸話です。現代風にたとえると、以下です。

大臣:「ひとりの人が、新宿に虎がいるといえば信じますか?」
王:「信じぬ」
大臣:「じゃあ、三人がいえば、信じますか?」
王:「信じる」
大臣:「ふつうに考えれば、新宿に虎がいないってのはわかりますよね。でも、三人がそう言えば、どんな嘘でも、それが真実だと思えてしまうんですよ。私が不在のとき、皆がいろいろ、私について根も葉もない噂を流すでしょうが、信じないでくださいね」
王:「わかったぞ」
で、大臣が不在のとき、嘘の噂を吹き込まれて、王はそれを信じてしまったとさ。

要は、明らかな嘘(新宿に虎がいる)であっても、多くの人が「真実」といえば、本当だと思うようになるってことですね。しかも、「人にはそういう心理があるから気をつけて」と忠告しても、つい騙されてしまうわけです(大臣が王に進言したのに、王は大臣に関する根も葉もない噂を信じてしまったわけですから)。

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人の評価は真実をも捻じ曲げてしまう

この人の評価の話を、「美味しいラーメン屋」ができあがるまでの過程に、当てはめてみましょう。

友達とラーメンを食べに行ったとします。
あなたは、「そんなに美味しくない(不味くもない、つまり普通のラーメン)」と思っていましたが、友達が、「美味しい」と連呼。また、店の中では、大勢の客が「美味しい」と連呼していました。
でも、やはり、美味しくないラーメンは美味しくないですよね。

で、後日、違う友達と、そのラーメンを食べに行ったら、またまた「美味しい」と連呼。しかも、店の中では、相変わらず大勢の客が「美味しい」と連呼しています。
また別の友達を連れていったら、その友達も美味しいと言っている……そのうち、自分の味覚がおかしいに違いない、と思うようになりませんか。

「そんなことはない!普通の味は、普通!」だと思いますか。
では、友達100人が美味しいといえば、どうでしょうか。
もっというなら、日本人すべてが、「あのラーメン、うまいよな」って話していれば、どうでしょうか。
そこまでになれば、そのラーメンは美味しいと思うようにまでになります。
人は、味覚まで、人の意見に左右されてしまうのです。

というわけで、本来は、「品質がいい→人の評価」のはずなのに、世の中、多々、「人の評価→品質があると思いこまされる」という流れも起きているんですね。
こういう「人の評価→品質がいいと思いこませる」という心理、商売に利用できますし、実際に利用されています。

ちなみに、「人の彼氏を好きになる女性」がいるって聞いたことがありますよね。
なぜ、好きになるのだと思いますか。
それは「友達が評価している(だから友達は付き合っている)→その彼氏はいいに違いない」という心理が働いているからではないでしょうか。

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